2.1 きっかけ
吃音になったきっかけからお話しします。(2から始まる題名は吃音について)
私は子供の時から吃音があり、それが生まれつきなのか、何か原因があるのか分かりませんでした。
吃音は身体的な障害ではなく、習癖であると医学書に書かれています。精神疾患の中で情緒に関する障害の部類に入っています。ですから原因も分からない、治療法も分かりません。
大学生の頃だったか、ある時、フラッシュバックのように小さい頃の思い出がよみがえり、それが原因で吃音になったのだと気づきました。
それは、私がまだ3歳の頃、一つ年上の兄が幼稚園への入園式を翌日に控えた日、両親が仕事に行っていて、私と兄の二人で留守番をしていた時のことです。
入園式前日で、私も兄も興奮していました。
そこで、白いふすまに、クレヨンや赤チン(赤い軟膏です)で好きなように絵を描きだしたのです。
すると、仕事を終えた母が帰ってきました。母は家に入り、ふすまの落書きを見て驚き、クレヨンまみれの私と兄を見て激怒しました。
その時、私は、悪いことをしたとは思っていなかったので、怒る母に謝りませんでした。
それが母の逆鱗に触れたのでしょう、私はひどく叩かれ、私が泣きわめいても止めてくれませんでした。
その一晩で私は、普段優しい母がこれほどまでに怒り、叩き、殴るということに衝撃を受け、言葉を失ったのです。
兄はその時、すぐに母に謝ったので、暴力は振るわれず、吃音になることもありませんでした。
翌日、兄の入園式に私は新しく買ってもらった赤いワンピースを着て参加しましたが、一つもうれしく思わず、ただ母にびくびくして泣いていました。
私にとって、その出来事は相当な衝撃で、それ以来、まともに言葉を発することは出来なくなりました。それまで、おしゃべりで、毎日楽しく何か話をしていたのに、もう口を開いても言葉がでなくなってしまったのです。
母は本来、やさしい人で、叩いたり、怒鳴ったりするような人ではなく、この時以外は一度も叩かれたりしていません。もちろん、悪いことをしたら叱ることはありましたけれど。
今思い返せば、そんな母もあの時は仕事で疲れていたのでしょう。小さい子供二人を留守番させていて、心配していたこともあり、また翌日の入園式を控えて、あれこれ考えていたのかもしれません。そこに、子供が家じゅうを汚したのですから…怒るのも当然だとは思います。ただ、私としたら、そのたった1回の暴力が私の人生を変えてしまったというのはひどく理不尽でしたね…。
私の発声がほかの子と違うと私自身が認識したのは小学生になった頃でした。自己紹介、国語の授業で、まともに言葉を言えなかった時、ほかの子と違っているのに気づいたのです。
当時、まだ昭和50年代。担任の先生も、私の両親も「変な話し方だな」とは思ったようですが、特に手当や治療されることもなく「そのうちに治るだろう」と思われ、放っておかれました。
でも、治らないんですよね。そんな簡単に治るなら「吃音」なんて病名ないですよね。
後日談ですが、社会人になって、昔話を両親としている時、私の吃音のこと、そのきっかけのこの事件のことを話しました。両親は涙を流して謝ってくれました。私は謝ってほしくて話したわけではなかったのですが…。