空のなごり

経験、思ったこと、共感できることなど書いてみました。

1.4 ガン告知

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大好きな花、プルメリア

手術はあくまでも細胞検査のためだったので、私は手術から2週間後に結果を聞きに病院へ行きました。

 

診察室の前で待っている時、たまたま、診察室のドアが大きく開いて、先生の顔が見えました。

その時、先生は私の顔を見て「はっ」とした顔をしました。

それは困惑したような、見たくないものを見たような様子だったので、私は結果が悪いものだと気づきました。

それまで、異常なしの結果ではないかと期待していたので、悪いと気づいた時、手足が冷たくなり、背中が震えました。

 

診察室に入り、先生と対面しました。

術後の経過、傷口の様子を話した後、先生は目の前の画面上に手術で採った細胞の画像を見せながら私に言いました。

「細胞の組織に異形成があり、初期のがんだということが分かりました」

「……」

「でも、心配しないで下さい。非浸潤性ですから、転移はありません。大人しいガンです」

「……」

「正式な名称は非浸潤性乳管がんと言います。上皮内ですから、ひどく心配する必要はありません。超初期で、ステージはつきません。でも、ガンですので、放射線治療は受けてもらいます」

「……」

「私の説明は分かりますか」

「……はい」

私はここに至るまでに、ネットでさんざん乳がんを調べていたので、先生の話は理解できていました。でも、心がついていけませんでした。

先生は今後の治療の予定を話し合う前に、一度、時間を取った方がいいと、また来週来院するように伝え、その日はそれだけで終わりました。

 

正直、私は平静に聞いて、歩いて、何事も無かったかのように診察室を出ました。

そして、結果を気にしている両親に「ガン」だったことを電話で伝え、絶句する両親を無視して電話を切り、いつものように公共機関に乗って家に帰りました。

勤めていた職場は、ちょうど異動先が決まる時期でしたので、とりあえず、上司にガンだったことを伝達し、明日普通に出勤するので大丈夫だと言いました。

 

家に到着し、一人、ベッドのふちに座ると、それまで冷静だったのに、はらはらと両目から涙が出てきました。

私のことを心配してくれている友人が何人かいたので、結果を知らせないといけないのに、元気が出ませんでした。

ただただ「ガンだったんだ。私はガンだったんだ」と心に刻むばかりで茫然としていました。

 

上司から聞いたのか、同じ部署の先輩からラインに連絡がありました。

「僕の嫁さんも乳がんになったよ。手術からもう5年経った今は元気で楽しく生活しているよ。心配するな」

このセリフに涙が止まりませんでした。