1.9 自分へのご褒美
放射線治療が終わった後、私は食生活を変え、体調を確認するようになったのですが…これは次回書くことにして、まずは、乳がんで傷ついた心と体を癒したことを書きます。
放射線治療で黒くなった肌を早く治そうと、ビタミンCでお肌を白くするために毎日ローズヒップティーを飲みました。柑橘類だと日焼けで逆に黒くなる可能性があったので、その危険性のないローズヒップを利用しました。
実際、肌の黒さは3か月後くらいには落ち着き(といっても、自分で見ると地肌よりも黒いのは分かります)、多少首元が見えても他人には分からないくらいにはなりました。
最後まで黒かったのはわきに近いところと、乳房の盛り上がったところでしたね。
お肌が落ち着いたところで、大好きだった旅行を再開しました。
まずは温泉旅行。もちろん高級旅館を予約して、夕食をたっぷり食べました。
それから、変身写真。
変身写真とは、普段と違う格好をして写真を撮って、しかも美人に画像処理してくれる写真撮影です。
私は中国の大連でしましたが、中国主要都市、台湾、香港で写真館があります。
日本人はおしゃれして写真撮るとき、顔までパソコンで加工はしませんが…。中国ではするんですよね。(今ではアジア圏でこういう写真館はどこでもあるかもしれませんが)
私は、中国の衣装で面白半分に写真を撮り、超超美人に画像を加工してもらい、アルバムを作ってもらいました。
いやあ、メイクがすごかったのと、衣装が重かったので、撮影終了時は疲労困憊でした。
写真はこんな感じです。
私ですが私ではありません(笑)
アルバムを製本してもらったら、この写真には詩経の秦風に収められている「ケンカ(特殊漢字で表示できない)」の詩が付けられていました。失った人を求めて川をさかのぼり、探していく歌です。
こういう写真は恥ずかしいと思う方なのですが、病気になったので、ちょっとでも元気そう、綺麗そうに見える自分の姿を残すことにうれしさを感じました。
大好きな一人海外旅行も再開。クロアチアへ行き、ザグレブ空港内のベンチで夜を明かしました。交通手段が便利でWi-Fiも充実していた国だったので、比較的楽な旅行でした。
プリトビチェ国立公園内を散策して、一日中歩き回っても平気だったので、すっかりガンだったことを忘れ、フヴァル島で、美しい港を散策しながら、ちょっとおしゃれな服を着て夜のそぞろ歩きついでにホテルのディナー、すべて最高だったです。
なんか、治療後というのが解放感と、新たな人生の一ページを開いた気がして…生まれ変わった気持ちになれました。
苦しい治療を終えた後は、自分にご褒美と楽しみをしっかり与えるのは絶対必要です。
1.8 治療終了
放射線治療が終わったのは、最初の検査をしてから半年後のことでした。
放射線を当てた場所は日焼け以上の黒さで本当にみっともない感じ。右乳房を覆うように大きい■の長方形ができたという感じ。
鏡の前に裸で立つと、四角にくくられた黒い肌が、とても不自然な感じで、気持ち悪く感じました。
ただ、身体に記された+などの印を洗い流していいという許可がでたのはうれしかったです。やっと放射線から解放されたとうれしくなりました。
放射線治療を受けると、肌が黒くなるだけではなく、当てた部分の毛が無くなります。毛穴もなくなるので、汗をかきません。つるつるして肌触りがいいです。
わきの一部も放射線が当たったのですが、その部分の腋毛がきれいに無くなり、生えてもこないので、放射線の怖さを感じました。
約5年後の現在、産毛は復活しました。ただ、汗はいまだに出てきません。汗腺は死滅したんでしょう…。
先生から、放射線治療の後に5年間のホルモン治療を勧められましたが、断りました。
海外の論文を読んだり、自分で調べたりした結果、ホルモン治療をしたくないと判断したためです。
先生は困惑していましたが、ホルモン治療で鬱を発症する人がいることや、私がまだ初期の乳がんで再発の可能性が少ないことを考慮し、ホルモン治療をしないことに同意してくれました。
先生に
「乳がんの原因は何ですか?今後私に気を付けることはありますか?」
と尋ねたところ、
「原因は分かりません。現在はっきりとしたエビデンスはありません。ただ、運動不足というのは言われています。その他は分かりません。健康のためにと言って偏った食事は危険です。バランスのとれた食事をして下さい。あと、私の経験上、肥満になると再発するように感じます。肥らないように気を付けて下さい」
とアドバイスをもらいました。
当時、私は健康診断などで肥満という結果ではありませんでしたが、人生の中で一番体重があったことも事実ですので(体重は55キロでした)、それ以上は肥らないようにしようと思いました。
診断後、先生と相談し、今後は、年に2回病院に行き、定期検査を受けることになりました。
毎週のように病院に通っていましたが、その日から、もうガンに関わることはなくなりました。うれしいような心配なような。もう治療行為はなくなりましたが、あとは自分で自分の体を見守るしかなくなったのです。
2.4 就職後
私の最初の勤務先は鹿児島で、私はいきなり知らない土地、知らない言葉に直面することになりました…が、これが吃音にいい影響がありました。
吃音症状がとても改善して、私の周りの人は私の吃音に気づかなくなりました。
だからといって、たまにどもることはありますが、ほとんどの場合はスムーズに言えるようになりました。
改善した理由を考えてみました。
① 鹿児島の方言が私の症状に合っていた。(鹿児島滞在は3年間でしたが)
鹿児島の方言は標準語と明らかに違う特徴があり、それは単語ではなく、イントネーションが標準語と逆ということです。
大げさにいえば歌うような抑揚が伴うので、話しやすくなります。
歌う時はどもりません。ですから、鹿児島弁で話すことに慣れていけば自然と言葉に詰まる機会も減るようになったのだと思います。
② 一人暮らしの生活が話す機会を増やした。
一人暮らしだと、好きなだけ独り言が言えるし、職場で知り合いを増やしたかったので、他人との会話も以前に比べて積極的になっていきました。
独り言は傍目から見れば変な人に見えますが、吃音症状に悩む人にはお勧めです。
一人生活の時は、鏡の自分に向かって。あるいは写真の誰かに向かって、好きなことをどんどん話してみてほしいと思います。
一切どもらないで話せる時間をたくさん持つと、実際の吃音症状は軽減していくようです。
独り言はほとんどどもりません。
それから他人との会話にチャレンジして成功する度に自信がついていい影響を与えてくれます。
もちろん、仕事上で困ったことはありました。
よく話すようになったことで、ウグイス嬢をあだ名を付けられ、放送でアナウンスするよう言われて、どもってしまいました。
どもった様子をみて、皆「相当緊張したの?」と言いましたが…。もともとの症状なんですけれどね。普段の私の会話を見れば吃音は想像できなかったのだと思います。
電話は最初苦労しましたが、自由なところでしたので、いろんな電話を取り方、受け答え方をしても誰も注意しなかったし、電話でどもることは回数を重ねるごとに減りました。
相変わらず、母音で始まる言葉は苦手でしたが。
一度、大きなイベントで、司会をするように指示され、困惑していたのですが…。大きな災害があり、イベントが中止になったことで、救われたこともありました。
司会は絶対無理ですね。どれだけ改善したとしても。
2.3 高校から大学時代
このころになると、吃音でいじられることは少なくなりました。
というより、周りがいじめをするような人がいなかったので、多少私の話し方がおかしくても誰も気に留めなかったんだと思います。
このころ、英語を話すときはほとんどどもらないことに気づきました。
それから、話す時も、少しは改善されて、ひどい吃音状態とはならず、上手に隠せるようになりました。
結局私が苦手なのは
母音で始まる言葉「あ」「い」「う」「え」「お」
順番が回ってくるような緊張を強いられる時は話す内容を考えすぎて、詰まる言葉を作ってしまう。
苦手としている人の前。
ということが分かってきました。
明らかにどもりそうになった場合は、やたら修飾語をつけて回避しようとするので、友人から「状態副詞が多い」「修飾語好き」と言われました。
私としたら、どもって、友人に変な顔されるくらいなら、言い回しが長くなって困惑される方がよかったのです。
吃音を心配して両親が私を音楽の道に進ませようとしましたが、私は結局音楽には進むことができず、普通の大学に行ってしまいました。
大学時代、事務員のバイトをしたのですが、そこの電話に苦労しました。
電話に出るときに決まりがあり、必ず「ありがとうございます。〇〇会社です。どのようなご用件ですか」と言わないといけませんでした。
私は母音が苦手なので、まず「ありがとうございます」の「あ」が出てこないので、電話に出ても、声を発することができません。しかたなく「もしもし」「はい」「こんにちは」などと先に言って、「ありがとうございます」へとつなげようとしたのですが…。
ある日、その会社の社長から電話がかかり、それを私が取った際、「ありがとうございます」を最初に言えなかったため、怒鳴られ、「お前はそんな言葉もしゃべれないのか!辞めろ」と言われました。
まあ、その日に解雇になりましたが。
就職は、当時、超氷河期で苦労しました。
面接や事前訪問などで、質問や答えている時に、どもって失笑をかったりしました。当然採用ならず。
唯一、私が採用されたのは、面接でどもらなかったところ。
なぜどもらなかったか?
それは、面接の際、それまで受けていた不採用や女性差別に対して諦めと怒りで、頭に血が上った状態で受け答えしてしまったから、全くどもらなかったという…。
怒りというのは吃音を抑えてくれる一つの魔法なんです。
明日、どもらずに話したいという場合、激怒して話すと大丈夫です。でも、誤解を生むかもしれません…、
3.1 旅行(中国の小吃)
※3から始まるものは趣味(旅行など)について書きます。
中国語を習ったことや、古代中国が好きでたくさん中国旅行をしました。
面白い場所や興味深い遺跡、楽しい人々にもたくさん思い出がありますが、私は地元の人が行く小さい食堂で食べるのが一番好きです。
中国人はおいしい所じゃないと並ばないので、人が並んでいる店は絶対おいしいです。
人でごった返した、小汚いお店がおいしいし、楽しいんです。
でも、……残念なことに、店の人は愛想がありませんが…。
一番のお気に入りは油条です!これに豆浆か豆腐脑ついていると最高!
中国における定番の朝ご飯です。
日本にいる中国の友達に油条作ってと頼んでも、面倒だからって作ってくれませんでした。
薬膳の授業で自分で作ったのですが…いやはや、こねるの大変、揚げるの大変。たしかに難しいですね。
中国の朝市で屋台で作っているのを見ると、本当に手際が良くって上手なんですけど、自分で作るのは大変です。
それから茶蛋(写真ありませんでした)。これも屋台で売られている茶葉と漢方薬で煮込んだゆで卵。
自分で作る時は中国で購入した茶葉卵の元みたいなのを使います。
台湾ではコンビニで売っているから、台湾に行った時は必ずコンビニ寄って買いますね!
中国人に「茶蛋が好き」というと、は?って顔されます。そこまで?って感じです。
でも、「油条が好き」というと、「君は中国人だ!」と言われます。それだけ、中国圏内しか食べる人はいないものなのかも?
あとは中国粥(日本人から言えばこういう言い方になりますが)。日本のお粥との違いは味がしっかりついているということかな。
粥専門店。最高です。旅行先で見かけたら絶対行きます。
一番おいしかったのは、香港の湾仔の小道にあった小さなお粥店で食べた魚介のお粥。
日本以外の国では、お魚料理は骨もついたままなので注意が必要ですけど。
お粥をたくさんすすりたいのに骨まで入ってくるので…苦労しましたが、味が美味。
旅行後、自分で作ったけれど、同じ味が出せませんでした。日本と出汁の取り方が違うんでしょうね…。
1.7 放射線治療
放射線治療は5日×5週間行われました。
放射線治療は、手術で取れきれなかった小さい異形成細胞と新たに形成される細胞を殺すことで、乳房にあるガン細胞をすべて削除する治療です。
継続的に放射線を患部に当てないといけないので、病院が開いている平日は毎日続けて通わないといけません。
私は職場に相談をして、午後に休暇を取り、夕方病院で治療を受けることにしました。
病院によれば、放射線治療は好きな場所の病院で受けてもいいということだったので、職場に近いところなど検討しましたが、結局手術を受けた病院で受けることにしました。
手術前に放射線科で事前に治療箇所のチェックを行いました。
その際、放射線を当てるために胸に+や-の線をマジックで書かれるのですが…本当にそれが悲しくさせました。
放射線の先生から、放射線を当てると、肌が痛むので、下着はできるだけ刺激のないものにしてほしい。ノーブラにしてほしいと言われました。
仕事する以上、ちょっと大きめサイズの胸の私にはノーブラはきついので、
ユニクロのブラトップ
を使うことにしました。
ただし、ブラトップをそのまま使うと、乳房の下側にしっかりゴムがついていて、そこが圧迫し、傷つける可能性があるので、切れ目を入れました。
ブラの真ん中…∞を〇と〇に分けるように真ん中に切れ目を入れる
側面(わきの下)のブラ部分の生地に切れ目を入れる
こうすると、胸の上にパットが乗っかるだけの形になり、圧迫が無くなります。
今は、もっと機能的な下着もあると思うので、いろいろやり方はあるかもしれません。
放射線治療を進めていくと、放射線の当たる個所がだんだん茶色くなり、肌が乾燥してきます。
いろいろ調べたところ、本当か不明なのですが、フランスでは放射線治療の際、乾燥防止のためにティーツリーのエッセンシャルオイルの入ったオイルを塗っているとありました。
乾燥した肌でも、特にわきの部分が傷みやすいところで、ここから肌が切れたり、血が出たりするとあったので、私は放射線治療の直後、服を着る前に、オイルを塗るようにしました。
治療の最後の1週間で、先生からピンク色の保湿用クリーム(有名な美容液にもなるという某保湿クリーム)を処方してもらいましたが、オイル
のおかげで私には不要でした。
アルガンオイルを25ミリリットル
ティーツリーのエッセンシャルオイルを5滴くらい
を混ぜて使いました。
ティーツリーは万能ですね。放射線を受けるまでは知らなかったオイルですが、今では常備薬のように使っています。
※あくまでも私が自己判断で使ったものです。参考にする際はご注意下さい。
治療は放射線の部屋に入り、着替えて上半身裸になり、機械の上に横になると、先生が私の体に記された位置を合わせます。そして機械が左右上下に動いて2,3分くらいで終了。
若い男性の先生が二人がかりで、対応されるので、なんか嫌な気分でしたが…。
5週間。きつかったです。お風呂に入るときも印が消えないようにしないといけなかったし、仕事も中途半端だったし…。
癒されたのはティーツリーの香りだけでした…。
1.6 放射線治療についての検討
放射線治療について、私は前向きにはなれませんでした。
担当医の先生にはするかしないかの結論は待ってほしいと答えました。
私の乳がんは「非浸潤性乳管がん」で、本来はガンではなく、「前がん物質」であり、乳がんだけ、ガンでなくても、乳がんという名前が付くものでした。
だから、通常のがんと同じ治療行為の放射線治療することに懐疑的でした。
そこで、図書館、専門サイトで情報集めしました。
非浸潤性乳管がんについて、基本的な情報は
・前がん物質であり、放置した場合、ガンに変わる(いわゆる他細胞に浸潤して転移を 始める)か、その前がん物質のままで推移するのか研究中であり、まだ分からない。
・基本的に約9割方の予後は良好であり再発は極めて少ない。
・最新情報(2016年当時)では、非浸潤性乳管がんの治療行為については過剰治療行為の可能性もあるとの議論が海外で起こっている。
また、私は日本の医療について不信感があり(あくまでも個人的な意見です)日本で行われている治療行為が遅れているのではと思っていて、海外の情報を検索しました。
今は、海外の医学論文を有志の方が翻訳し、最新情報が手に入ります。
それによれば、非浸潤性乳管がんの治療における放射線治療について
・過剰治療と考える医師と少しでも再発の可能性があるのなら治療すべきと考える医師とで意見が分かれている。
・非浸潤性乳管がんをそのまま放置した場合、どのくらいの割合で浸潤性乳がんに変わるのか研究中であり、詳細なデータがなく、全く不明
・海外でも、基本的に放射線治療を勧めているが、今後は変わる可能性がある。
ということでした。
ここで総合的に放射線治療のメリットデメリットを検討しました。
〇メリット
・放射線治療によって、検査で発見できない微細なガン細胞を死滅させ、再発や別のがん発生を取り除くことができる。
・世界的に標準となっている治療
〇デメリット
・放射線を受けることにより、その部位の細胞が傷つき、肌や乳管が再生できず、傷んだ状態となる(妊娠しても母乳が出ない、皮膚が薄くなり、再度の手術は難しい等)
・治療中仕事を休まなければならない。(約1か月かかる)
私にとってはどっちもどっちでした。
正直、自分の体を放射線にさらして痛めつけることにひどく心が傷つきました。これ以上体にダメージを与えない方法はないかと考えました。
だから、怪しげな民間療法を行うガン患者がいるのも分かります。助かりたい一心でそういった治療法を取るというより、身体を傷つけたくなくて、優しい治療をしたくなるんですよ。だって、もう手術で十分傷ついているんだし、これ以上、身体を痛めつけられますか?って思います。
結果的に私の心を押したのは「世界的に標準となっている治療」ということでした。
もしかしたら、20年後、50年後、「放射線治療なんて恐ろしい治療していたんだな。今はこんな有効な治療あるのに」という未来が待っているかもしれませんが…。現在に生きる私にとってはこれ以上の選択肢がないんだと思いました。