1.2 手術を決心するまで
細胞診を受けた後、私は心配のあまり仕事に手がつかなくなりました。
どうしても安心がほしくて、スマホで「細胞診」に関する情報を検索しました。細胞診をしても異常はなかったという結果がある記事やブログを探しました。
でも、細胞診をして悪い結果というのが多かった。もともと細胞診を医師が薦める段階で、結構深刻な状態なのです。
私はお風呂に入って自分の体を見るたびに、こんなに元気なのに、嘘じゃないか、何かの間違いじゃないかと思いました。悲しい気持ちになるばかりでしたね。
そして、結果発表の日。
先生から「結果は分からなかった」と告げられました。
私の乳房から採った細胞片はごくわずかで、病変がもともとひどく小さく、採取するのに難しい上、生理検査するのに情報が少な過ぎるということでした。
先生は「手術して病変を取りましょう」と言ってきました。
「明らかに異常な細胞だが、ガンではないかもしれない。ただ。それは取ってみないと分からない」
「その代わり、ガンだったらいけないので、病変本体のみを採取するのではなく、病変の周り2,3センチ四方も切り取ります」
と言われました。
(注:ガンである場合、組織が広がっている場合があるので、周りの細胞もしっかり取らないと、再発する可能性が高くなるそうです。もちろん、ガンでなかった場合は無駄に組織を大きく取り、身体に負担にはなるのですが)
手術について、私はどうしても譲れないものがありました。だから先生にこう言ったのです。
「傷跡はどうなるんですか。水着は着れますか。胸が陥没したりするのですか。変形してみっともない形になるのですか」
相手は若い男性医師だったので、女性の気持ちが分からないだろうと思って、私は半ば怒ったように質問しました。
先生は圧倒されたように、ただ「そんなことはありません。3センチくらいの一本線です。傷跡は残ると思いますが、そんなひどいものではありません。水着は大丈夫です。体積を考えると、少し胸のサイズが小さくなるかもしれませんが、そんなに思うほどひどいものではありません」と言うばかりでした。
そして、次回来院した時に結論を決めることになりました。
当時、私はオーストラリア人の男性に個人的に英語を習っていたのですが、その人からは「とんでもない。男の医師でいいのか。女性の体なんだぞ。女性医師にセカンドオピニオンすべきじゃないか。身体を傷つけることを簡単に決めるもんじゃない!」と言われました。本当にそのとおりだと思いました。
ガンかもしれないという理由で、乳房が傷つけられてもいい
というのは、病院の医師はそれで当然でしょうけれど、そうではないんです。
やっぱり女性として特別な思い入れがあります。
可愛い服も下着も、水着だって、楽しんで着られるのは乳房があるからで、それは私の大切な一部です。(私は独身で子供がいないので、授乳という理由はありませんでしたが)
できるなら一つも傷つけたくありません。
だから、簡単に「ガンかどうか確認するために手術しましょう」と言われるのにひどく違和感があります。
それに、私は自分の乳房がとても気に入っていました。だから、安易に承諾できなかったんです。形が変わるかもしれないのに、そう簡単に決心などできません。
私はネットであれこれ検索しました。
こういった場合、どうなるのか。どういう手術になるのか。そして形がどう変わるか。
これについては個人で情報をアップしているものがほとんどありませんでした。
全摘した人や再建した人の話はあったのですが。私のような温存手術している人はほとんどいませんでした。
それからセカンドオピニオンのために病院どうすればいいかも検討しました。
ネットでどういう病院がいいかと調べると、アドバイスとして
・手術経験が豊富
・専門医がいるところ
ということが分かりました。手術経験というのは大切で、医者も人ですので、経験不足だと手術に失敗する率が高くなるということでした。大病院でも、手術件数が少ない所は止めていた方がいいと思います。もちろん、失敗は滅多にないでしょうが、自分が失敗されたら嫌ですから。
病院や手術情報については沢山データがあり、特に東京のある乳がん専門医のホームページが役に立ちました。問題意識の高いお医者さんがいるのは本当に助かります。
結局、私はガンだから取るのではなく、あくまでも検査するために取るということだったので、手術することに決めました。
セカンドオピニオンも考えたのですが、「あくまでも検査」となると、他の医師も同じように手術を勧めるか、病変を上手に取るまで何度も細胞診をするか…しか選択肢がないことが分かったのです。それに私の病院は手術件数も多かったので、そこも安心材料でした。
1.1 再検査
発端は特別検診の再検査(1から始まる題名は乳がんについての話です)
ことの発端は2015年の冬でした。
当時、私は気管支炎になったり、帯状疱疹ができたりと、今までかかったことのない病気になり、通院していました。
そんなに体が強くもなければ弱くもなかったけれど、こう頻繁に病院へ行くという経験はしていませんでした。
それらの病気が片付き始めた頃に、私は約1年前に受けた人間ドックの再検査をしたのです。
再検査といっても、昔からよくひっかかるものでした。(心電図異常です)ただ、それに加えて乳がん検診も再検査となっていました。
2014年の秋頃、人間ドックを受ける時、40歳近いし、受けてみようと乳がん検診を入れたのです。しかも、乳腺エコーをしたときに、担当者から「なんか気になります」と言われただけで、しこりがあったわけではありませんでした。
再検査をした時、私は異常なしを決め込んでいたのですが、結果を聞きに、いざ診察室に入ると、ひどく重苦しい雰囲気で、私は恐怖心を感じ、何か問題があったのだと気づきました。
先生は「細胞診をしたい」と言ってきました。
問題のある個所に大きな針を刺して、その目的の場所で細胞を一部取るというものです。私は頭が真っ白になりました。
先生は、再検査の結果、異常がありそうだが、何か分からない。もしかしたらガンかもしれないし、単なる乳腺症のようなものかもしれないと言いました。
ガン
という言葉に私は真っ青になりました。想像だにしていませんでした。
先生はともかく、細胞診をしない限り、何か分からないから検査させてほしいということを頼んできました。
断ることはできませんでした。
細胞診痛いです。本当に。
麻酔してくれるんですけれど、乳房に大きな針が入り、先生は超音波で目的の個所まで到達するのを確認して、スイッチを押すのですが…その時
バシーーン!!!
と体全体に衝撃が走りました。衝撃で涙が出そうでした。乳房が痛めつけられてるようで、悲しい気持ちになりました。
針が抜かれると大量に血が出てきます。それを見ると、ひどく辛くなって涙が出てきました。
私の症状は乳管に嚢胞があり、その中に異常な形成をしている細胞が見受けられるということでした。
先生は問題の個所はひどく小さいので、細胞診でうまく取れたか分からないと不安そうに言いました。最後に、結果は2週間後に分かるのでその時また来てくださいと言われ、その日は終了しました。
それから私の生活は一変してしまったのです。
※写真は2015年夏に行ったスリランカ北東部の小さなビーチ。この時、かわいい水着を着て楽しんでいました。まさか半年後にこうなるとは知らず。懐かしい思い出です。
初めまして
初めまして。
最初ですので、ブログを始めるきっかけについて書きます。
新型コロナウイルスが日本中に広まって、自由という言葉が一番遠く感じる世の中になってしまいました。
私は海外一人旅行が好きで、それを楽しみにしていました。今は旅行が全くできない日々が1年以上続いています。本当に悲しいです。でも我慢しなければいけないですね。早く世界中が感染の恐怖から抜け出すことを祈っています。
今まで、SNSで友人と、また世界中の人と簡単な交流をしていましたが、ブログという選択肢は考えておらず、写真やちょっとのコメント、簡単な旅行記で十分満足していました。
私は5年ほど前に乳がんと診断され、とても落ち込んでいた時期があり、その時に慰めてもらったのは、同じ病気で治療を受けている人のブログでした。読むと皆同じことで悩んで苦しんでいるんだと思って心が軽くなったことを覚えています。
私はもともと文章を書くのが大好きで、文章のための通信講座や出版社の講座を受けてきました。でも、文章がたくさんの人に目が留まるブログにはあまり関心がありませんでした。
先日、私と同じ症状のがんに友人がなってしまいました。
私は身近にそんな人が出てくるとは思いませんでした。
落ち込んでいる友人に私の経験を話すととても喜んでくれます。それを見ていて、以前、私もブログを読んで慰められたことを思い出しました。
私の経験を書くことで、同じ悩みを持つ人に何らかのアドバイスや励ましになることができたらいいなと思ったのです。
それが今回、初めてブログを書くきっかけです。
個人的に書く内容はジャンルを決めることにしました。
〇乳がんについて
私は非浸潤性乳管がん(DCIS)と診断されました。発見した経緯と現在に至るまでの経験を書くつもりです。
〇吃音症について
私は子供の頃に発症し、現在は軽減されて普通に仕事もしていますが、完治したわけではありません。私個人の実情や経験について書くつもりです。
〇趣味や興味のあることについて
海外旅行記、中国古代史、薬膳、グルメなど。好きなことを書けたらいいな。
ブログを訪れてくれた方に感謝を込めて